あこがれとの一体化

私が何故トヨタ車に惹かれないか?
コストベネフィットに優れ、耐久性や整備性に優れたトヨタ車に惹かれないか?
それは、私にとって、クルマが、私の生命維持に必須なものではないからかもしれない。
私にとって、クルマは、どちらかというと、嗜好品の位置にある。


では、嗜好品の記号性とは何か、嗜好品には何が求められるか?
嗜好品によって得られる満足感とは、何に由来するのか?
腕時計、クルマ、カメラ、、、たとえそれが量産品であろうとも、そこに込められた理念に惹かれるのか?
それを所有することで、そこに込められた圧倒的な理念に一体化し、その圧倒的理念によってそのブランドが獲得したステイタスを、あたかも自分自身に備わっているものであるかのように錯覚したいのか?


過剰の美学、退廃の美学、豊穣の美学。
そのコストを削らないことによって得られる色気、質感、なまめかしさ。
究極の美しさ、究極の耐久性、、、それはロマン、それは理念、それは人生。
生きているだけの人を抱きたいですか?
生きている人と生きているだけの人の違いは大きいですよ。


そうだ、わたしはトヨタ車に私の人生を投影したくは無いのだ。
基準や計画に身をゆだねたくはないのだ。
私は私以外の何ものでも無い。
トヨタは下手だ。
そして、レ腐すは、もう暫く苦労するだろう。


今日の最高速:39.6km/h、平均速度:21.9km/h(ATモード)