孔子と仏教

ある方に勧められて、中国古典と宗教書を読むようになりました。前者については、意気込んで「史記」や「十八誌略」の解説書を購入してはみたものの、元来歴史が苦手だからでしょうか、なかなか進みません。それに対して、そのついでに買ったような「論語」の解説書

論語  新版 (新書漢文大系 1)

論語 新版 (新書漢文大系 1)

は一気に読んでしまいました。
これまで抱いて来た、”孔子”や”論語”のイメージと言うのは、”権威的”で”説教臭い”などというようなものだったのですが、実際はそんなものではなく、”ええことゆうてはるわあ、、””めっちゃまともやん”というものでした。これまでの印象は、単に戦前教育の”イメージ”から来る”思い込み”に過ぎなかったわけです。”科学的””理論的”で”実際的”、そして”プラグマティック”な側面に関しては、さすが中国4000年の歴史を感じました!
宗教書としては、”初期仏教”を選択してみました。
無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福    お釈迦さまが教えたこと1

無常の見方 「聖なる真理」と「私」の幸福 お釈迦さまが教えたこと1

平和の生滅―生存の矛盾を超えて (お釈迦さまが教えたこと)

平和の生滅―生存の矛盾を超えて (お釈迦さまが教えたこと)

で、どうだったかというと、孔子と同じような事ゆうてはるのでちょっとびっくりでした。もちろん、こちらは宗教なので宗教的な飛躍が無いわけではないのですが、ようは同じこと。人間社会に留まらず地球規模で地球上の現象を予断なく科学的に解析すれば大体同じようになるのかなあ、と感心した次第です。
”ひと”に関する勉強を全くすっとばしてきた(どうもそうらしい。”ヒト”については結構勉強してきたつもりですが。)私にとって、種々の啓発書の裏づけともなるこのようなものと向き合える機会が、まさにこの時に得られたという事、今後の人生を豊かにしてくれるものと、半ば確信めいたものを感じています。こんな私に対して真剣に向き合ってくれる方々に感謝。。。