はて、面妖な、、

憲法記念日を目前にして、はて面妖な。
高校野球のことなんか、どうでも良いやん。そんなん、皆知ってたでしょ。そもそも特待生制度のどこが悪いのでしょう?日本学生野球憲章(すごいネーミング!)そのものの意義を問い直しても良いのでは?何はともあれ、少なくとも、マスコミネタにするのに、いまでなくても良いやん。
こういうこと、最近よくありますねえ。小泉政権からかな?こんなにあからさまなのは。ある意味、工夫が足りん、とも言えますが。
今回の場合、憲法の本質的な論議が盛り上がるのを、どうしても避けたいわけだ。ナイーブでイノセントな(アホでもの知らん)国民は、お上からたまわる「空気」のままに、なびいていればよろしいと、、。
「個人」は「国家」と対立する概念なので、成熟した「個人」ができないように、できるだけ情報が伝わらないように、するわけだ。このあいだの関テレたたきは全マスコミ、そして「個人」に対する恫喝か。既存政党に対して、本当に何のしがらみも無さそうな個人が、国際的に影響力のある長崎市長になるなんて、困っちゃうわけなのね。
今日もくり返し書きますね、”憲法とは、国家のありようを規定するものであって、国民のありようを規定するものではない”。従って、国民の義務云々を憲法に記すのは、根本的に、徹底的に、筋が通らない、のです。愛国心は、国家が国民に対して十分義務を果した結果、結果として個人の心の中に生じるものであり、国家体制として愛国心を規定するのならば、どこゾの首領様の国と同じではないの?
憲法改正もいいけれど、実際押し付けられた憲法なのだろうけれど、憲法というものの本質を見定めずして、どうやって自主憲法を定めようとするのだろう?本当に、何がしたいのだろう?気分や空気で右往左往させられるのは、もう沢山ですわ。