法律とか校則とかに時折現れる、何やら楽しげなことをいきなり禁止にしてしまう、日本国の癖

我が日本国では、何やら楽しげなことをしてると、いきなり『禁止』になってしまうことがよくあります。
もちろん、薬物の問題とか、騒音の問題とかは、その損害の大きさ等が科学的に理解できるので、それはそれで必要だと思います。
が、古いところでは、ローラースケート禁止、自転車のドロップハンドル禁止、オートバイのセパハン禁止、自動車タイヤの”インチアップ”やドアミラー禁止など、今から思たら、はあ?へ?、てなことに理由にならない理由を付けて目くじらたててたんですよね。
自動車関係では、今でもいろいろありますよねえ。年式や灯火によってその明るさを示す基準を変えて整合性がとれないようにしてまで、後付けLEDランプなんかを排除しようとしたり、いきなり使用できる色の制限を狭めてみたり、、、何か得をする人がいるんでしょうか?あ、違反検挙件数が稼げるのかあ、、、って、どんだけ内向きやねん!
その一方で、ナーンにもテロや災害への対策をしてない、その中でも3本の指に入るボロ原発は、「安全である」、、、とは言い切れずに、「電気が無いと死んでまうやろ」と恫喝しつつ、火力発電所を止めてまで危機感をあおるんだよなー。
我が国の産業の空洞化は今に始まった話じゃないし、大学の(今)役に立つ化を推進したことによって将来役に立つ(かも知れない)力をそいできたことは明白だし、、、ああ、この国では、問題点を論理的に未然に発掘し、科学的に推論し、それを実証し、それでもってより良くしていく、ってことが心の底から苦手なひとが多い、というかそう言うのが苦手な人ほど”偉く”なりやすい、のですねえ。原理原則よりも現世利益、正義の実現よりも現世利益、宵越しの銭は持たねえ、孫に美田を残さず、というところでしょうか?
そうか、日本国でなにがしかの権力を持つことができた人は、新しく出てくるものの芽をしっかり摘むことの出来る人なのですね。どんな手段を使ってでも、というかどんな手段でも躊躇無く使える人。身内に対してね。
でも、国内が縮小崩壊しつつあるなか、内向きに強い人が権力を持つって、どうなんでしょ?普通に考えたら、あかんでしょ。無理でしょ。
ええ加減やり方換えません?まずは、科学的に大丈夫そうで楽しげなことはどんどんOK、って。