ものを売らないもの作り

いわゆる「加工貿易」は、労働力が安価に手に入らないと成り立たないよね。
今の日本の労働コストからすると、とーってもすんごいものじゃなければ、とてもじゃないけどmade in Japanは成り立たないよね。
昔は、グローバルな観点で良いものが安価だったから成り立ったのでしょ。
今はもう昔と違うのだから、昔のやり方を好む人たちが喜ぶやり方、、円安とか、、が本当に良いとは限らないよね。
これからの時代を考えるとさ。
made in Japanは、高くて良い!高いけど欲しい!!
これを追求せずして、未来に向けての、何のグローバル化でしょうか?


技術が進むと、少ないもので、同じだけの価値を作り出すことが出来るようになります。
もの作りは、技術から価値を生み出し、それを世の中に広めること。
単に、”もの”を媒介にしているだけで、要は”価値”づくりなのですよね。
出来るだけものを少なく、人手をかけて、価値を生み出し、それを世の中に届ける。
少なくとも、日本国内における”ものづくり”のあり方は、”価値づくり”に軸足をおかざるを得ないのです。
そのためには、いままでのパラダイムに別れをつけなくてはいけなくなるのですよ。


安くて良いものを購入する場合、そのものが最終的な目的ではなく、何か手段の一部であるようなときには、何も無理して自分でそれを購入して使いこなす必要は無いのですよ。
その手段の一部を”技術サービス”として購入すればいいんですよね。
オフィスのコピー機の保守なんて、まさにこのモデルじゃないですか。
オフィスの運営に関しては、このようにものでなく価値を購入している”ものづくり”の会社が、こと自らの”ものづくり”に関しては、本質ではない些細なところまで”ブツ”にこだわるのは、どういうことなのでしょう?
手段として”ものづくり”を選び、”価値”を生み出すことを目指しているのにね。


国内産業を成り立たせるためには、いかに「ものを売らないものづくり」を実現するかにかかっているのです。
如何に人手をかけて、いかにものを使わずに、高い価値を生み出すか。
これ、、、一般的な大量生産モデルの逆なのかな?
でも、理にかなってると思いますよ。
日本国内で、国際競争に打ち勝ちつつ、国内の人間が、為替や資源投機の波に翻弄されないで、生き甲斐を持って生きていくためにはね。