原理原則

経験や慣習によってではなく、気持ちや感情によってではなく、原理原則に基づいて、基づくことを心がけて物事を考えれば、自ずと確からしい方向に動いていくと思うのだけれど。
なぜなら、それが自然の法則だから。


過去における事実は、必ずしも良いことばかりではない。そういうことがあった、ということに過ぎない。
あと付けの理屈であろうと無かろうと、あの時こうすべきであった、ということはやはり、こうすべきであることなのである。


私の祖父は、職業軍人であったという。
作戦行動での死であったということで、いつどこで亡くなったかは定かではない。


戦場での殺戮のあと、彼は何を考えたのか?
彼の拠り所は何だったのか?


軍人は、命令によって、ある時突然、見知らぬ他人を殺さなければならないのだ。
少なくとも、その覚悟で日々を過ごしているはず。


そんなところに半笑いで”ええ娘いまっせ”とすり寄ってくるハシ◯◯は、その場で撃ち殺されていても文句は言えないなあ。
まあ、普通のポン引きだったら、一発殴られた上に、MPに引き渡されるのが落ちやろなあ。


その軍人が、本物の軍人ならば。
貴様!何を言うかっ!!我が隊に対するそのような侮辱は断じて許さん!!!ガンッ!!!!


彼の言動は、従軍慰安婦(ことばの正確さはさておき、ことの経緯はさておき、このようなことがあったのは事実だから)はもちろんのこと、当時の軍人も、それにつながる現在の我々をも、傷つけ侮辱するものです。
ものの道理、原理原則から判断すれば、現在生きる我々が今とるべき行動は、自ずと見えてくるはずですよね。