女王の教室

ここのところ、日テレ−読売(含む新聞)って、
案外マトモかも知れません。
すくなくとも朝日(含む新聞)より。


女王の教室」って、現実の日本社会を、
小学校ををスクリーンとして投影しているだけですよね。
お芝居として単純化すると、
分かりやすすぎて戸惑うんでしょうねえ、
教条主義的な良識ある人々は。


このドラマをみていて、
ふとある著作を思い出しました。

日本語で生きるとは

日本語で生きるとは

その中に出てくるのが、
英語における「アイ」と「ユー」、そして日本の「自分」です。

  • 他者の全員から「ユー」と呼ばれ、自らは自分のことを誰に対しても「アイ」としか呼べない自分は、これ以上あり得ないほどに個的であり、孤独だ。いかなる場合も「ユー」ないし「アイ」でしかない、完璧に個的な自分。その自分は絶対孤独者だ。そして自分の呼称がこのようであって初めて、個人と言う考え方が成立する。
  • 日本の「自分」という人は、いつも専用の硬い枠の中にいることによって、欧米の個人主義とは異なった質とかたちで、すべての他者から常に画然と隔たっている。〜中略〜だから常に自分専用の枠の中にいる「自分」をめぐって、他者との真の連帯は成立しにくい。「自分」という人はみごとに孤立している。寂しく不安な「自分」にとっての基本的なあり方は、誰もがそれぞれ「自分」という枠に入ったままおこなう、他者との横並びの確認の日々だ。

英語の持つ基本的性質を明らかにする事により、日本語の持つ基本的性格をあぶり出し、「日本語で生きるとは」何であるかを解きあかそうとしています。


このドラマ、
子供達は「アイ」を確立していくのでしょうか?
それとも”外敵”に対抗して、
「自分」たち(”うちら”とも言えるか?)という枠を形成し、
集団の中の”仲間性”を確認するために、
異質な”外敵”を”勇敢に”排除していくのでしょうか?
今後の展開が楽しみです。


おまけ:
エンディングの映像は、
お話の緊張感を解きほぐすのに、
やっぱりあったほうがいいのかなあ??