いまわのきわに
いつも楽しみに覗かせていただいている「きっこの日記」で教えていただきました。(きっこさん、了解の返事はいただいてませんが書いてしまいました。不都合があれば仰ってください。削除します。)
長崎の詩人(といって良いのかな?)松尾あつゆきの「原爆句抄」です。以下に引用します。
いまわのきわに―原爆句抄
★八月九日 長崎の原子爆弾の日。
我家に帰り着きたるは深更なり。
月の下ひっそり倒れかさなっている下か
★十日 路傍に妻とニ児を発見す。
重傷の妻より子の最後をきく(四歳と一歳)。
わらうことをおぼえちぶさにいまわもほほえみ
すべなし地に置けば子にむらがる蝿
臨終木の枝を口にうまかとばいさとうきびばい
★長男ついに壕中に死す(中学一年)。
炎天、子のいまわの水をさがしにゆく
母のそばまではうでてわろうてこときれて
この世の一夜を母のそばに月がさしてる顔
外には二つ、壕の中にも月さしてくるなきがら
★十一日 みずから木を組みて子を焼く。
とんぼうとまらせて三つのなきがらがきょうだい
ほのお、兄をなかによりそうて火になる
★十二日 早暁骨を拾う。
あさぎり、兄弟よりそうた形の骨で
あわれ七ヶ月の命の花びらのような骨かな
★十三日 妻死す(三十六歳)。
ふところにしてトマト一つはヒロちゃんへこときれる
★十五日 妻を焼く、終戦の詔下る。
なにかもかもなくした手に四枚の爆死証明
夏草身をおこしては妻をやく火を継ぐ
降伏のみことのり、妻をやく火いまぞ熾りつ
原爆というもの、爆撃というもの、、、”大義名分”にかかわらず、戦争というものの足下には、未だ世界各国で続いている”紛争”や”対テロ攻撃”の現場では、同じような光景が澱のように降り積もっているのでしょう。人の子として、人の親として、何を感じますか?何をしたいですか?何をすべきでしょうか?何ができるでしょうか?
死を悼むべき対象は、不戦の誓いをたてるべき対象は、”英霊”(だけ)ですか?