既得権益

すでにその恩恵を受けている人にとって、その人の存在証明に等しい価値を持つのでしょう。
一人の人が、一人の人として、その存在を認知され、生存するものとして尊重されることの少ない、この日本国においては。


浪人や無宿人は、まともな形の雇われ人になることが困難なだけでなく、起業者になることすら、さまざまな有形無形の障壁により、かなわないのが現実なのか。
このような仕組みにより、既存の組織に従順であることが、結局は個人が人として存在しつづける条件(動機付け、インセンティブ)となっているのか?


ある種のホメオスタシスなのかなあ、、、。
でも、環境が大きく変わろうとするときに、その恒常性が足かせになる(その特徴を有する集団にとって)ことってないのだろうか?


もし、既得権益の網からこぼれ落ちた人々が大きな数とそれによる物理的な力を行使するようになったとき、既得権益を有する側はその本来の権利や利益を発揮(回収)することができるのか?
既得権益を有する側にとっても、従順ならざる人々を、烏合の衆かもしれないが神様に祝福され生命を与えられた人々を、うまく生かす/取り込む(言葉は悪いが)知恵を発揮するすることが、結局はその権益を確固たるものにできるとおもうのになあ、、惜しいなあ。あほやなあ。


ひとりひとりが、生きてるだけでまるもうけ、という意識があればいいだけなのに。
仏さんの前では皆平等、だれもが神様に祝福されて生まれてきた、のだから。


今日のランニング時間:1:53'50"、平均心拍数:156bpm、消費カロリー:1459kcal