何を信じていいのか、、

大本営発表を信じてはいけません。
あの人たちは、個人として悪い人ではない(と思う)けれど、状況の奴隷、すなわち餓鬼となったのです。
生身の人間の心配よりも、真実の共有による魂の救済よりも、組織の体面、己の保身、目先の利益、公序良俗安寧秩序を選んだのです。


信じるもの、それはまず自分じゃないか。
自ら情報を採取し、解析し、再構築し、行動する。
俺は生きる!お前も生きろ!
一人一人が自らの才覚で生き延びれば、必ず再会できる、新たな道をともに切り開ける。


大衆迎合だ、ポピュリズムだとののしられている我が国の宰相は、もしかすると、おそらく多分、とにかくあらゆる姑息な手を使ってでも、餓鬼にだけはなりたくないのかもしれない。
彼の失言は、本当のことだったからこそ、失言たり得たのであろう。
真実は恐ろしく、堪え難く、恐怖と絶望が立ちはだかるけれど、それらを直視し、ひとつひとつ解決し、一つ一つ乗り越えていくことしか、道はないはず。


もうだまされない。だまされたくない。
自分が生きるため、みんなを生かすため、あえて荒野をいくべき時が来たのだ。
宇宙空間で絶対的に屹立する孤独な私を信じて。


何を信じていいのか判らないって、、、あなた自身を信じなさいよ。